君が光になる瞬間を

ジャニーズWEST神山くんを主に応援するジャニヲタの感想記録用ブログ。

1年分のどうでもいい話を1日遅れで。(ほぼG公演懐古録)

えび中に持ってかれて悔しい思いをした後にでんぱ組.incに励まされながらこのブログを書いております。

 

本当はちゃんと昨日更新するつもりで書いたんですが、

書いてる途中でPCがフリーズして消えちゃって、書く気がうせちゃって。

まあでも、昨日更新するつもりだった内容を、ざっくり残しておこうかなと。

 

 

あの日から1年たつということで。

いきなり余談ですが、記念日ってすごく苦手なんですよね。365日経とうが、366日経とうが、そんなに変わんねーじゃんっていう、なんとも女らしくない価値観なもので。男ができても、記念日とか祝いたくないです。あ、男ならいません。(笑)

 

まあそんな私ですが、やはりヲタクの皆さんは、そういう日にいろいろ振り返るわけですよね。どうだったかな、成長したかな、って。

それはとっても大事なことなんだろうなあと、最近思うようになって。

「1年おめでとう!」みたいな祝福は今でもめんどくさいなあと思いますが、振り返るタイミングとして記念日を大事にすることは、いいことだなーって。

 

そんなこんなで(本当に誰も興味ない話でしたね)

この1年間を通しての私の心情の移り変わりについて、

ちょっと通り越して1月から振り返ってみようかなと。

 

 

だれもが絶望的な気分だった2014年1月。

私も最初の4日間はもともと弱い腸がさらに悲鳴を上げて、2キロ近く痩せました。

でも、心身ボロボロで向かった大阪城ホールには、

私の元元元担・坂本くんの曲であり、元担・渋谷すばるも歌ったあの名曲Shelterを、何かに訴えるように歌い叫ぶ、私の大好きな人がいた。

 

その姿を見て、ほんの十数日前に松竹座で見た姿とか、全部蘇ってきて。

あの人はあれだけ輝ける能力があるんだから。違う道でもいい、とにかく彼の才能が輝くならいい。強がりではありましたが、そう言い聞かせて。

SHARKを画面に張り付くように見続けて、いつしか腹をくくっていました。

「彼は俳優路線を行くんだな」と。

 

しかし、2月5日が近づくにつれ、ちらちらと漏れ出した情報に、くくった紐をゆるめられて。

正直その時、2月5日に起こることの想像がついて。

私は、正直もう入れなくてよかったから。

「とりあえず発表したい」と言って発表した、大好きな4人に、裏切りを感じていたから。

だから信じたくなくて、SHARKを再生してゆるめられた紐をまたきつく縛って。

 

そして迎えた2月5日。

私は、LDHヲタの親友と、地元の回転ずし屋さんにいました。知名度ゼロな少年を応援する私を、ずっと一番近くで見守っていてくれた親友と。

TLを流れていく、確定情報のツイートに、むりやり縛っていた紐を完全にほどいて奪われました。

長年の夢だったんだから、嬉しい気持ちもあったんですが。本当に彼は「後から入れてもらえてデビューさせてもらえる人」になったんだと思うと、悔しくて悔しくて。

何とも言えない表情をする私に、無駄に気を使うこともなく、ただただ一緒に居てくれた親友には、感謝してもしきれません。

 

それからというものの私は、とにかくWESTの活動に文句をつけるめんどくさいヲタクになりました。

何から何まで、「4+3」な部分を見つけるたびにほざいて。

あんなに楽しかったデビュー記念イベントですら「ライトの色順、濱神が両端やん」とほざいて。

そんな1年間の自分を思い出せば思い出すほど、情けないなあと思います。

 

そんなことを言っておきながら、きっと次の1年間も私は文句たらし野郎です。

じゃあ、いつそれが終わるのか。いつになったら私は、心の底から「ジャニーズWESTでデビューできてよかった」と言うのか。

 

たぶんですけどその答えは「G公演以上にかっこいい神山智洋を見たとき」です。

 

母の影響で幼いころからジャニヲタになり、いろんなグループに乗り換えたり掛け持ちしたりして、今もDDな私ですが。

今まで行った数えきれないほどのコンサートの中で、もっと質のいいコンサートにもたくさん行ったけど、G公演が一番胸が熱くなったコンサートなんです。

2時間弱でも、私にとっては、それまで神山くんを応援してきた5年間ぐらいの価値のあるもので。

 

そして、デビューして一年経つ今も、彼をあの日以上にかっこいいと思うことはないんです。そのことがきっと私のモヤモヤの大元なんだと思います。

 

だから私はあの日以上の彼を見るまで、何年でもほざきます。来年の2月5日もきっと同じようなブログを書きます。

でも、それでもあの日見た彼の可能性を私は信じたい。

その思いを一層強くしたのが今回の3rdシングルのカップリング3曲でした。

そこには、トラウマである「4+3」を感じさせるものが何もなくて。大好きな声がたくさん聞こえて。

こうやって段々と積み重ねて、いつか神山くんが大サビ歌ったりするのかな、とか思うととてつもなくワクワクして。

そんな未来を少しでも想像できるようになったことが、この1年間の私の唯一の進歩かな。

 

 

まあそんな感じで、思うがままに文章を連ねてみたのですが

脈絡なさ過ぎて自分でもよくわからないです。(笑)

 

とにかく!来年の2月5日にはもう少しまともなことが書ける自分になっていることを期待して、1年目のまとめといたします。

2年目もズンズンがんばれ神山くん!

 

重岡大毅くんの10000字感想

ごめんね青春がついに終わって、平ちゃん先生が無事に青春を卒業したところで。

わたしも、醜い嫉妬からズルズルと引きずってしまっていた過去を卒業し、重岡くんにごめんねする気持ちで、この記事を書きます。

 

 この文章は、「10000字感想」というよりむしろ「ごめんね重岡くん」という、神山担から重岡くんへの謝罪文です。あらかじめご了承ください。

 

 

 

ついにやってきた、我らがセンター重岡大毅の裸の時代。

いつも笑顔でアイドルを演じる彼は、今まで一度も「陰」の部分を見せてくれませんでした。

そんな彼のインタビューには、そのキラキラスマイルからは想像できないような苦悩が記されていました。

 

 

 

遡ること、2009年。

私が神山担になったとき、重岡くんは神山くんのシンメでしたが、すでに神山くんより1歩前に出ていました。東京にちらほら呼ばれたりとか、優馬の次に重岡くんが推されてるような状態で。

 

当時、重岡くんのことなんて全く知りもしないのに、無性に腹を立てていました。「なんでこんなひょろひょろでニコニコしてるだけのやつが前に出れんねん、技術は神山くんのほうが全部上やのに」って。

私は決まって、時に黒い部分を見せたり悔しがったりしながら、それでも情熱的に「戦い続けるんだ!」というような人に惹かれるのですが。重岡くんはすべてが反対に見えて。

気づけば私は、重岡くんのことを嫌いだと思うようになりました。

 

単なる嫉妬でした。いろんな仕事する重岡くんが、うらやましくて。この時から、きっと嫌いなんかではなかった。でなければ、今こんなにも彼を愛おしく思うはずがありません。

 

 

そんな嫉妬をズルズルと引きずり、思い返せば去年の年末まで、彼が嫌いだとぼやいていました。「なんであいつがソロコンなんかすんねん、埋まらんのちゃう?」と。もちろんそんなわけなかったんですけどね。

 

あの時期、それぞれが多方面で仕事を伸ばし始めた関西ジャニーズJr.からデビューの匂いがぷんぷんしていて、でもなんだか神山くんは取り残されてるような気がしていて。

すごく怖かったんです。神山くんが相方だと言って愛する彼が、神山くんをいつか見捨ててしまうんじゃないかって。

 

 

そしてカウントダウンで本当に見捨てられた気分になり、何の彩りもない1月を過ごし、2月5日、Twitter上でいろいろと聞いて…

やはり神山くんが後から入れられたということに関してはこれからも一生納得しませんが、二人でたくさん台詞の言い回しとか考えて、

「お前はグループに絶対必要な人間や」

「これは、俺ら二人で叶える夢や」

という台詞を、彼らの意思で組み込んだのであれば、それはもう認めるしかないな、と、無理やり5年間の嫉妬を終わらせました。

 

そこからというものの、重岡くんの雑誌の記事とかを読んだりしてたら、急に愛おしく感じるようになってしまって。

今では「海老沢くんほんまかわいい~~~」と叫ぶほどの溺愛ぶりです(笑)

 

 

でも、溺愛すればするほど、嫌いだった過去を悔やむ自分がいて。

なんでもっと向き合わなかったんだろうって。

だからこの10000字感想を機に、すべてに終止符を打てればいいなと思っています。

 

 

 

…あいかわらず前振りが長くてすみません(;_;)

本題に入ります。

 印象に残った4か所について生意気に語らせていただきます。

 

 

「(4から7になった経緯は)自分の中では忘れたいことなんで。」

 

序盤のこの言葉で、ぐっと心をつかまれました。

この人、こっち側の人やったんやって。

正直、重岡くんて、求められたことを求められたとおりにやる仕事マシーンな印象があって。これ嫌あれ嫌っていう表情を見たことがなかったから。

あ、実は嫌やったんや。なにわ侍のあの感じも、ほんまはちょっと嫌やったんかもな。

そうわかった瞬間にすごくほっとして、今まで向き合ってこなかった私からすると、初めて彼の人間らしさを感じた気がしました。

 

 

 

「周囲のいろんなグループを見渡したとき、かっこいい感じの路線のグループはあっても、アイドルの王道的なグループってなかったんです。だから”’7WESTは、そこを進もう”ってメンバーと決めて。でも、セットリストをみんなで決めたら、カッコつける曲も入ったりして。だから”戦うのは、そこじゃない”って。」

 

この話を読んで、なんだかいろんなことの答え合わせができた気がしました。

7WESTメンバーが口をそろえて「しげは頑固だ」という理由。

流星がよくコンサートの打ち合わせで重岡くんとケンカした理由。

そして、7WESTが、あんなにも人気のあるグループになった理由も。

あらためて、感謝しないといけないと思いました。重岡くんがそこにこだわり続けなかったら、もしかしたら7WESTにあそこまで人気はつかなかったかもしれない。あのまま重岡くんだけの人気が上がり続けて、1人で東京に巣立って行ってしまったかもしれない。

重岡くんがずっとアイドルでいたのは、自分が売れたいからじゃなく、みんなで売れたいからだったんだ。

それに、まだ10代の駆け出しくんが、「ちゃんとブレずに同じ道で戦うべきだ」と判断できたこと自体がすごい。だって、かっこつけたいじゃないですか。流星が、かっこいい曲やりたがってたのも、当然のことだと思うんです。なのに、人気になるためのプランが彼の中にはもう見えてた。売れるために何をすればいいかが分かっていた。それはもしかしたら、ダンスも歌も平均的な彼の、最大の武器なのかもしれないなと感じました。

 

 

 

「下からは、KinKan、なにわ皇子の足音が聞こえるっていうか、勢いつけてきてて。なんか焦りが、めっちゃありました。早くデビューしなきゃって」

 

これを重岡くんの口から聞けたのが意外でした。

東を抑えて恋人にしたいランキング1位、どう考えてもあの時代Jr.で一番人気だった重岡くんから焦りを感じたことなんか1秒もなかった。

いつも高いところから”後輩もみんなで仲良く♪”と見下ろしてるだと思ってた。(歪んでますよね本当、ごめんなさい)

 

 

 

「国民的グループになりたいんです。それは半端な想いじゃないんで。そのためには、絶対に3人が必要なんです。だから情やないんですよ、全然。3人が絶対必要やって思ったのは。」

「波風立てず、折れたほうがラクだったかもしれないですけど、それじゃあとから引きずっちゃうんで」

 

私はずっと、重岡くんが7にこだわったのは、3人が好きだったからだと思っていました。

同じグループで頑張ってきたりゅかみと、甘えられる癒しの先輩濱田くんに、”自分の近くにいてほしい”と思っているからだと。

それは正反対だった。さっきも書きましたが、彼にはプランがあったのです。

成功するため、国民的グループを目指すために、3人が必要だった。彼にとっては、仲間との絆よりも、「グループとして売れる」ことが絶対条件だった。

彼らがよく口にする「てっぺんをとる」という言葉。

それを一番明確に夢見てるのは重岡くんだったんですね。

 

 

 

 

 

 読みきって最後の笑顔のページを見た時、心の底から

「この人がいてくれてよかった」

そう思いました。

 

 

だから最初に言った通り、ごめんねしたいんです。

 

 

流されてばっかりの自分を見事に変えて見せた。

人生も、青春も、すべてを捧げて「アイドル重岡大毅」を演じてきた。

私が、「なんもできひんくせにセンター立って、なんも考えてないくせに推されて、調子のってへらへらしやがって…」と5年間誤解し続けた人は

悔しさやもどかしさを感じながら、強い信念を持って戦い続ける男だった。

私が一番、惹かれるタイプの人だった。

 

まぶしすぎてずっと目をそらしてきたその顔は、しっかり目を向けてみると案外まぶしくなくて、ずっと光が当たっているだけだった。

彼自身がまぶしいというよりむしろ、一番光が当たる位置に彼が立ち続けていただけだった。

そしてその光が当たる位置に立ち続けていたのは、自分が輝くためじゃなくみんなで成功するためだった。

 

私はなにもかもを誤解していたんです。

 

 

本当に、ごめんね重岡くん。

「大嫌い」なんて言って、ずっとボロクソに批判してきて、ごめんね。

 

重岡くん、そしてもし読んでくださってる重岡担の方々がいたら、

こんな奴が、これから全力で重岡くんを応援すること、「大好きだ」と思うことを、どうかお許しください。

 

神山くんの10000字インタビューを読んで

私と神山くんとの出会いは、、2004年に行われた松竹でのエイトのクリスマスコンサート。小さかった私は、渋谷すばる担当として、母と姉と参戦していました。
正直、その時意識していたジュニアは、B.A.DとBOYSと、モジャモジャ頭のかわいい幸登くんだけでした。神山くんには見向きもしませんでした(笑)
それからもエイトのバックについてたことが何度かありましたが、気にしたことはなくて。顔を覚えてたぐらいですかね。名前は知らなかったです。

見向きもせず数年が経ち、
2009年。少クラin大阪をたまたま見たときに、7WESTのほかのメンバーがヘナヘナなダンスを踊る中、1人だけキレキレで鋭い目をして踊る子を見つけて、急に気になって。そっから雑誌等漁りはじめ、その神山くんという子が昔モジャモジャくんのシンメにいた子だと一致して、気づいたらはまってました。


その頃から神山くん好きなところは?と聞かれるとただ一つ
「熱いところ!」
と答えてきました。
彼の良さはその言葉に全て集約されると思うんです。
歌もダンスもアクロも、毎回見に行く度にレベルが上がる。演技には、ストレートにぶつかって行く。どの分野においても妥協せず、自分の限界に立ち向かっていく。その姿は誰がどう見ても「熱血」そのものであり、それが私の誇りでした。




そんな自担の10000字がとうとうやってきてしまって。
次が神山くんだと知った時、見えないことが見えるようになる嬉しさと、見たくない部分を見ることになってしまうことに対する不安で、すごく複雑な気持ちでした。
そしてそこには予想通り、いや、予想をはるかに超えた、見たくない言葉がありました。
本当に神山くんの口から発せられた言葉なのかと疑うぐらいに。



何度も何度も感想を書こうとしたのですが、どうしてもまとめることができなくて。
下書き機能に書いては消して…を繰り返していたら、気づけば1ヶ月経っていました。
昨日、思うことを紙に書き起こしてみれば、ルーズリーフ4枚表裏びっしり埋まるほどで…
思ったすべてのことを書くことはできないと思うので
このブログでは、印象に残った3つの部分についてのお話にとどめようと思います。



まずは序盤での言葉
今まで妥協したこともない。やれることは全部やってきた。
私は、これが言える神山くんがすごくかっこいいと思うんです。盲目かもしれないけど。
いや、普通言えないでしょ。ほとんどの人が、過去を振り返って「あの時もうちょっとできたのにな…」と思うことってあると思うんです。私は数えきれないほどあります。
でも、彼は「やれることは全部やった」と言い切れる人。それは、自分に甘いとかじゃなく、本気で向き合ってきた証拠で。
ああ、私が好きになった神山くんがちゃんといる、と感じられました。



そして、今回の10000字で、神山担だけでなく彼を見てきた人たちがみんな目を疑った言葉。
野心がないから。
この言葉が、今も胸に深く突き刺さって抜けません。
野心がないようなうすっぺらい男を好きになった覚えは全くありません。
歌うまくなりたい、ダンスうまくなりたい、アクロバットうまくなりたい、みんなで売れたい、デビューしたい、エイトみたいになりたい…
私はそういう一つ一つのことが、すべて野心なんじゃないの?と思うんです。
1ヶ月かけて考えてみましたが、結局納得できませんでした。
たぶんこればっかりは、神山担を続ける限りずっと付きまとう疑問だと思います…



そして、何よりも理解ができなかった部分。
まず、流星や濱ちゃんが4+3になっても入りたいって言ってたことに対して
「俺はその形は一切ゴメンやったんですよ。絶対いややって。」
これは私の意見と全く同じです。私にとっては今でも納得いってないことです。

そう思ってくれてたことに、少し喜びを感じたのもつかの間、
"照史くんの気持ちも考えてあげて"って言われて。その瞬間、俺が間違ってるって気づいたんです」
「俺がイヤって言うのは、どんだけ照史くんを苦しめるのか。俺、まちがってた。自分が苦しいからって、目をそらしたんです。デビュー発表の時、一番つらかったのは、俺でも、流星や濱ちゃんでもない4人やったって。

私はどうしても、この神山くんの解釈の仕方が、理解できません。
神山くんにとってはこう解釈するしかなかったのかもしれないけど。
私は神山担だからこう思うのかもしれないけれど、やっぱり辛い思いをしたのは濱神流のほうだと思うんです。
デビューというのは多くのJr.の夢で。彼らもそれを目指して走ってきたのに、デビューに漏れた人よりデビューできた人のほうが辛いなんて、そんなはず絶対ない。
それが神山くんの優しさなのかもしれないけど…わたしにはどうしても理解できない。





とにかくこの10000字を通して思ったことは
「神山くんによって組み立てられたきれいなストーリー」だということです。
きっと神山くんにとってもカウントダウンでのことは、半年ほどで確実に処理できるような出来事ではなくて。でも処理しないと前に進めなくて、なんとかして納得できるように作り上げた、実話をもとにしたフィクションだと、私は受け取ることにしました。
質問に、あらかじめ用意していたきれいな回答をして。
やっぱり彼にはまだ早かったんだなと…


もちろん、要所要所に「素敵だな」と思う部分もあったのですが、
結果として不完全燃焼な、自担の10000字インタビューでした。


ただ、1か月間考えて、不完全燃焼だからこそ、応援を続けたいと思うようになりました。
本当に彼に対する不満がたくさんあって、そしてそれをはるかに超える大きな期待があります。

このブログのタイトルは、神山くんがG公演で歌った、錦戸君の「レース」の「そこら中に罠張られて 休憩するような場所もなくただ夢中で暴れるだけ 見てろ その濁った目で 僕が光になる瞬間を」という歌詞の一部分をもじったものです。
eighterの頃から、錦戸担でもないのにあの曲がやたらと好きでした。くさいぐらい熱い歌詞が大好きなんです。
あの日、G公演でこの曲を聴いたとき、本当にまっすぐに、この人に出会ってよかったと思いました。
デビューして、大きくなって、ドームに立って…言い尽くせないほどのたくさんの夢を叶える彼をずっと見続けるんだと、心に決めたのです。

あの時と今の現状を比べると、それはそれは、不満はたくさんあるのですが。
そんな不満もすべて押しのける未来が待っていると、今は信じるしかないな、という結論に至りました。
彼は大好きな仲間とともに、てっぺんをとるんだから。


もしいつかドーム公演が決まったら、天井席にわざと入ってやりたいな、と思ってます。
触れられるほど近くにいた原石が、遠すぎて豆粒に見えるなんて、そんな未来最高じゃないですか。

神山くんが光になる瞬間を見届けるんだと、ここに改めて誓って、神山くんの10000字感想とさせていただきます。

濱田くんの10000字インタビューとここまでの彼を見て思うこと

遅ればせながら、神山くんの裸の時代までに、既に終わった3人の分の感想を落としていきます。

順番は変わりますがどうしても11月2日のもぎ関を聞いてすぐに書きたくなってしまったので濱田くんからまいります。



まず私の濱田くんを認識したのは関ジャニ∞のDVD「Excite!」です。それより前から関ジャニ∞のレギュラー番組でバックで踊っていたでしょうが、当時の私は関ジャニ∞にしか目がいってなくて…笑

そこから数年、eighter道をまっしぐらに歩いていた私には「BOYSの濱田くん」であり、それ以上でもそれ以下でもありませんでした。よくエイトのバックについてる子達だなーって。BOYSはとりあえず、よく歌えてよく踊れる子達だと思っていました。

そんなこんなで2009年、たまたま神山くんに惚れ、彼のイメージが「エイトの後輩くん」から「神山くんを可愛がってくれてる先輩」に変わりました。先輩と仲の良い雰囲気は全くなく、きっと人と関わるのが苦手なんだろうと担当になり始めの時から薄々感じていたので、頑なに濱田くんを「濱ちゃん」と呼ぶ姿に癒され救われていました。

5年前の私も今に劣らず技術を持つ子にこだわっていたので、神山くん以外の7WESTメンバーより兄組が好きで、とくにBOYSは。歌って踊れて喋れてギラギラで。とっても大好きで、神山くんもギラギラなBOYSみたいな曲歌って欲しいなーって思ってました。余談ですが。

まあそれから色々ありまして。まあその色々の部分はあえて置いておきます。

関西担になってから思っていたことは、濱田くんは胸のうちを見せない人なのかなってこと。癒される笑顔は、素直で優しい人にも見えるけど、実はなにか隠してることがあるんじゃないかって。なんでも明るく話すから、本音で話してるように見えたことがあまりなかったというか。

だからこの時期に濱田くんにJr.時代を語らせるなんてばかじゃねーの!ってキレまくってました。真の部分は絶対見せてくれないだろうって。
そんなことをいいながらも発売日当日に本屋に飛んでいきましたけども。笑



そんなこんなで、ここから読んでの感想に移ります。前振り長すぎたわ…

まず、カウントダウンの日、オフだからと友達と初詣に行っていた時に4人でのデビュー決定を知るところから。
「世界中でひとりぼっちになったみたいな感覚になって」
この言葉に胸が締め付けられました。大切なものを失うのは濱田くんにとって2度目だし、これはもう私なんかには想像のできない苦しさだと思います。

そんな中で意外すぎる藤井流星のエピソード。
「俺はなんとしても入るよ。濱ちゃんもあきらめんなよ」って。
あけおめに参戦した多くのファンが、ツンツンして怒ってるのかな?と思っていた流星が、誰よりも最初に顔をあげていた。これには本当に驚きました。早く流星の裸の時代が読みたい。
きっと同じようなことを神山くんにも言ってくれたんだろうと思うと本当に感謝です。流星がいなかったら神山くんは前を向けなかったかもしれない。そのへんの神山くんの心境も気になりますね。来月のMyojoが楽しみです。

そしてここから濱田くんの成り立ちに入りますね。神山担の私には知らないことも多くて面白かったです。お姉ちゃんがJr.担だったのね。オーディション受ける頃には辞めちゃってたと。え、それってあの伝説の引退発表Jr.の小原くん…?笑

そんなことはさておき、なんやかんやでBOYSとなった濱田くん。最初はデビューできるなんて考えてもなかったと。安心しました。それが普通だと思うんだよなー。最近のちっちゃい子とか未来見据えすぎてて…笑

関ジャニ∞と文一さんのいい先輩すぎるエピソードが続き…ここからすこしシビアな話。
高3のとき、一度やめようと思ったけど、辞める勇気がなかった濱田くん。2006年ぐらいの話かな?エイトがまだ大阪でもがいてた頃だしねぇ…

そしてその2年後にごくせんに出たあたりから照史がお笑いに走り、関西Jr.が変わってきたと。
関西Jr.のために自分を犠牲にしてくれた照史に感化され、濱田くんもアホな部分を出すようになった。
(ただ今でも思うが、濱田くんは勉強ができないだけで、考え方とかはとっても大人でしっかりしていると思う。ただのアホじゃない)

そこから、優馬やキスマイなどがデビューしていってさすがに焦りを感じた濱田くんたちは、やりたいことをどんどん口に出すようになっていったと。私は関西のこの精神が大好きです。今もかねこじを筆頭にその精神が受け継がれていて、大事なことだなぁと思います。やりたいと思っていることをちゃんと言葉にしてくれるのはファンとしても安心するし。

で、ついにBOYSの話。
どうやって触れるのかなーと思っていたら、「解散状態」と言う言葉が使われていました。上手だなーMyojoさん。
自分より周りの方が動揺して、「濱田、Jr.やめるってよ」という噂が回ったそう。(どっかの桐島みたいにw)
そりゃ思うよねぇみんな。スペオキで関西Jr.を引っ張る存在だったBOYSが終わって、濱田が残るなんて誰も思わないよね。
やめる気なんてさらさらなかったし、ファンに変に気を遣わせてしまった…と言う濱田くん。私も確かにあの頃、シンメで歌ってたはずの曲を真ん中で歌うあなたを見て泣いてばかりでした。ごめんね。

「僕がBOYSの解散から伝えられることがあるとしたら、"なくなって気づく大切なものってあるよ"ってことだと思うんです」
この言葉に、あの人がどれだけ濱田くんにとって大事な人だったかが集約されていますね。
「一人じゃ、なんもできひん。」「一人になったら、ミスはただのミスで終わる。」
…胸が締め付けられました。
濱田くんとBOYS担に深く刻まれたあの傷は一生消えるもんじゃないんだろうな…。私なんかの傷とは比べ物にならない。

でも、濱田くんの口からあの話がちゃんと聞けて、思い出したくなくても思い出してしまうBOYSがいた日々を、やっと「過去」にできた気がしました。
これからもまた思い出すだろうけど、思い出して辛くなることはもうない気がします。昔の輝いていた頃よりも、これから先もっともっと輝くであろう未来の濱田くんに期待します。


そして時期は少し飛んで全国ツアー中の2013年5月、ばど濵でジャニーさんにデビューしたいと直訴しに行ったと。
最初はその気じゃなかったジャニーさんをなんとか説得し、「考えとく」と言わせた3人。
「このままじゃ食っていかれへん。食っていけたらそれでええねん」
25歳前後の男3人の叫び。すごくかっこ悪く聞こえるけど、これが言えるのがすごくかっこいい。

ここで「みんながやめるならやめようと思ってました」となんとも無責任に聞こえる発言。 でも、濱田くんが言うのは頷ける気がする。
大事な存在を失って、1人また1人と同世代がやめていって、いつも胸に穴があいた気分になった濱田くん。
それでも日々乗り越え絆を強くし、「このメンバーなら」と思える仲間を見つけて、これ以上失うならやめようって思うのは、全然おかしくないし無責任でもなんでもないね。

なのに、フタを開けたら濱田くんはデビューメンバーに入っていなかった…

次の日、あけおめのリハに向かった濱田くん。流星くんとも神山くんとも、ほとんど喋らなかったそう。リハ中に情けなくなって立ちすくみ、リハを抜け出して外に出た濱田くん。
その翌日4人とも合流したが、いつもの空気じゃ全然なくて。気をつかってる感に耐えられなくて「いつもどおり喋ってもらっていい?」と淳太くんに電話をしたと。
もう、このあたりは想像をはるかに超えた辛さなんだと思います。3人も、4人も。

絶対に泣かないと決めてステージに立った濱田くん。泣いているファンの子が見えて。
「俺の歌で、どんだけ届くかわかんない。それでも、"俺はまだ自分を信じてるよ"って想いを曲に乗せて歌って…」
濱田くん、ちゃんと届いてたよ。痛いぐらいに届いた。
一つ一つ確かめるように優しく歌う濱田くんの歌声と、なにかに訴えかけるように鋭く歌う神山くんの歌声のおかげで、あの1ヶ月生きることができたと言っても過言ではない。

その後、仕事はなんにも決まってなくて、振り付け師さんに出る?と聞かれ出たいです!と答え、出演が決まった2月の日生。

4人が事務所の人に働きかけていると、漏れ聞いていた濱田くん。重岡くんに「いろいろ動いてくれとるらしいな、ありがとな。でも、もうムリやろ。俺、別の道探すわ」と言ったと。
すると重岡くんが「ちょっと待っててください。100%入れないとは思わなくていいと思います。今はまだ、それぐらいしか言えないですけど」と。
このあたりはファンが踏み込める域ではないような気がします。でも、重岡くんのこの時の心情が気になる。「仲間を蹴り落とすつもりはないけど、どこか自分だけでも…と思ったりしてた」とどこかで読んだ気がするんです。そんな重岡くんが誰よりも7人にこだわっていた理由はすごく気になる。重岡くんの10000字が早く読みたい。

そして始まったなにわ侍の稽古初日に、構成が伝えられ、「あ、入れるかも」と思った濱田くん。その日の晩にみんなでご飯に行って。

迎えたなにわ侍本番。照史に半泣きで「濱ちゃんが必要や」と言われ泣きそうになり、「これで勢揃いやな」と言う重岡くんの目には涙が溜まっていて。あの日あの瞬間、世界一平和な空間だったんじゃないかと思います。入りたかった…


今後については、演技面をしっかり磨いて、この身体能力を活かせるような映画をいつか撮りたい濱田くん。…絶対叶えようね、その夢。

「新しい時代を、新しい分野を切り開いていきたい。まだ何ができるかわからない。でもこの7人だからできること、この7人じゃなきゃできないことが、きっとあるから。」
こう思ってくれてることが本当に嬉しいです。ゆっくりでいいから、もがきながら、ジャニーズWESTらしさを見つけていきたい。


"「濱ちゃんが必要や!」と仲間たちが呼んでいるから"
最後のページに乗っているこの言葉が、何故かすごく大好きです。
自分を押し殺しがちな濱田くんがこの世界で頑張ろうと思うのは、仲間が呼んでいるから。改めて、すごく心が優しくて綺麗な人だなぁと思いました。



全体を通して、やはり明るく話してくれた濱田くん。何も知らない人がこれを読んだら、あまり苦労してない人だと思われそうですね。でも、誰よりも辛い過去を持っているのに、それを明るく話せる強さがあるのはすごいことだと思います。

私はしがない神山担ですから、濱田くんをずっと応援してる人にしか読み取れないことも、まだまだあるんだろうなぁとも思いました。



私にとって、ジャニーズWESTの中では、神山くんの次に大切な人。濱神厨でもあるしw

だから、いつか書かなきゃ…と渋りながら、このタイミングで書いたのは、昨日(11月2日)のもぎ関で、滝様が「デビューするなら濱田を絶対に入れろ!」と言ってらっしゃったという話を聞いたからです。

滝様の真意はわからないけれど、濱田くんの存在がジャニーズWESTの中でとても大きなものであることは間違いないし、彼はいつか自分の道を切り開き、大きく花を咲かせることを、確信しています。

でも、それはアホキャラでも出来ないキャラでもなく、演技やダンス歌アクロバットなどを駆使した面で。彼の最大の武器はそれだと思う。

だれがそうさせたのかわかりませんが今日の濱田くんは出来ない子キャラです。それが悲しくて悔しくて仕方が無い。

いつかちゃんと望ましい道で花を咲かせることを信じて。今置かれている状況には目をつぶるしかないのかな…
ただ次濱田くんにそういう仕事が来た時に、少しでもそれをバックアップすることが唯一私にできることかな。


いろいろ思うことはありますが、とにかく濱田くんの未来を楽しみにしてます。持っている能力を最大に発揮している濱田くんを見れる日が来ることを信じて。



以上、濱田くんの10000字と、ここまでの彼を見て思うことでした。
2日かかりました。はぁ…つかれた。笑
こんなにもまとまりのない文章になるとは…理系脳の私にはこれが限界ですw
もし読まれている方がいたら、お目汚し失礼いたしました。

次は桐山くんの感想を書きます。

はじめました。

新しくブログをはじめました。
ここではかなやんと言う名前でやらせていただきます。

ジャニーズWESTの神山くんを中心に、ジャニヲタをしてます。
ジャニヲタをしてて思ったことや、TVやコンサートや雑誌等の
感想を残すためにこのブログを作りました。
基本的にはTwitterでつぶやいています。

基本的に自分があとから振り返るためのブログです。
好き勝手書かせていただきますので予めご了承ください。